敬語が外れやすい。

ブログというものをはじめてみたけれど、続けなきゃという気持ちはなくて。

というのも、続けなきゃと思うと、思えば思う程続けられなくなるので。

だから、「書きたいときに書く、で、その媒体は既にある」という状態があればそれでいいなと。それだけで充分だなと。

そう思っています。

 

それと、これは今書いてて思ったことですが、「です・ます」をどうしようかなと。

正直なことを言うと、自分的にない方が自分の言葉が出やすいというのはあります。

ですが、自分は日常的に敬語が外れてしまうこともたまにあるので、自分の中に定着させるという目的で「あり」でここでは書こうと思います。

 

だいぶ崩れていると思います。ご容赦ください。そしてすみません。

 

で、これも今書いてて思ったことですが、なんで自分敬語外れやすいんだろうと。

 

おそらく理由は2つあるなと思いました。

 

1つは、自分の性格や思想が変化する過程の影響で、半分わざと、若干不真面目になったから。

 

私は元々くそ真面目な人間でした。

でも、ずーっと気持ちを張り詰めて生きていくなんて無理なことです。

昔の私は気持ちの緩め方を知らなかったので、遂にプッツンと張り詰めた糸が切れたことがありました。

 

そこからはもう、ずっと頑張って登ってきた崖を一気にゴロゴロと転がり落ちて、堕ち切ってしまって、あーあ、となる訳です。

その状態になった私は「純粋に頑張ることができない。仮に頑張ってもまた今みたいに堕ちてしまうなら頑張ることに意味などあるのか」と思う訳です。

 

そう思ってしまったらもう、堕ちるしかなくなります。

真面目に毎日行っていた学校もサボるようになる。勉強もしなくなる。テストで沢山0点をとる。

 

それでもまだ「頑張ってまた登らなきゃ」という、どこからくるのかわからない使命感が若干残っているから厄介なんですよね。

そう思うけど実際は何もできなくて、どんどん自分が嫌いになって、どんどん堕ちていくわけです。ただの悪循環。負の連鎖です。

 

その中で、親からずっと耳にタコができるくらい言われてきたことが自分の中で少しずつ響いてきます。

 

「基本的にしなきゃいけないことなんて無い。好きに生きろ。楽しく生きろ。」

 

堕ちてやっと、この真意を少しずつ理解して、そしてだんだんと、あぁそうかそれでいいんだ、と自分の思考がシフトしました。

 

まず、「しなきゃいけない(must)思考」をやめました。

やめたけれど、それでもやっぱり自分の根っこには真面目な所が残っているので、意識的にしないようにしました。

 

意識的にしないようにするために1番やりやすかった方法が、若干わざと不真面目になることでした。

もっと言うと、言葉遣いを崩したり基本的にへらへらすることです。

『形から入る』ということですかね。

 

そしてここで敬語が外れやすい2つ目の理由、

このへらへらとした態度のまま自分の思考分析を行うようになったから、です。

 

前回のブログで「言語化が苦手だから自分だけのTwitter(X)に色々書くようになった」と書いたのですが、言語化が苦手で何が困るかというと、おしゃべりが上手くできないこともそうですが、1番大きいのは自分の意見や感情がはっきりとわからないことです。

 

しなきゃいけないことがないのなら、自分のしたいことはなんだろう、と考えたとき、本当になんなんだろうと、若干困惑しました。

そこでやっと、自分が何を思っていて何をしたいと思っているのかを自分自身が把握していないことに気付きました。

人間としてどうなんだと思うのですが、本当に。本当にわからなくて。

 

だから、Twitterに自分の頭の中に思い浮かんだことを書きまくりました。

 

書きまくって、自分の中だけにあったものを外に出して形にしていくうちに、やっと自分がどういう人間であるのかに気付けました。

そしてそれと同時に、自分はやっぱり無意識に「must思考」にいきがちだということもわかりました。

なので、取り敢えずまず強引に自分の思考態度を変えました。

 

そこで“不真面目”と“へらへら”です。

この態度を基本軸にして自分の考えを文章にするようになりました。

 

そしたら、

定着させすぎました。

 

『良い塩梅』って難しいです。

 

なんの話からこの話になったんでしょう。

でも、私の中ではよくあることなので、多分これからも私のブログはこんな感じになるでしょう。

 

ただの自分語りを長々としてしまいました。

こんなブログ、最後まで見てくれた方いるのだろうか。

いたら、ありがとうございます。

 

あ、それと、

今の自分が、私という人間で今居られるのは、あの言葉を何回も何回も言ってくれた両親のおかげなので、感謝しかないです。

 

だからこそ、

自分の人生を楽しむこと。

その姿勢を見せることが、私にとっての親孝行だと思っています。